「和気」画・松浦英文老師(元総持寺監院)


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ー3分間法話ー

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◇(22)違いを認めあって  2004/01/05
     21世紀は宗教の時代


 みなさんは、どのような宗教観を持っておられるのでしょうか?最近お檀家の若い方とお話をしていても「うちは無宗教で」という方が増えておられます。お寺の住職としては、教化不足と、がっかりいたします。
 みなさんクリスマスや初詣などに出かけられますが、一つのイベントとして参加するだけで、これらの行事が宗教行事とは思っていないようです。
 科学技術の発達した近代文明の中にあって、宗教は忘れ去られ、科学技術信仰だけが強く信奉されてきたのでしょう。
 十八世紀ヨーロッパのルネッサンスにはじまり、大変な技術革新の進んだ二十世紀。科学技術の発展によって、とても便利で快適な生活が出来るようになりました。それによって多くの命が救われるようになり、恩恵も受けてきました。反面、公害や悲惨な戦争被害、果てはDNAの操作によるクローン開発など、一体どこまで進むのか、地球はどうなってしまうのか、とても恐ろしいことになるのではないかと不安になります。
 科学技術の発展が、必ずしも人間や地球の発展にプラスになるばかりでなく、むしろマイナスの面も多く見えてくるようになりました。
 第二次大戦後のイデオロギーの対立が終わると、アメリカ・ヨーロッパを中心とするキリスト教文明とイスラム教文明の対立が顕著になりました。とくに九・一一ニューヨークテロ以来、その対立は激しさを増しております。これは正に宗教の違いによる価値観の対立です。
 はたして、自分の信ずるものだけの価値観しか認めないことが、真のグローバリズムと言えるでしょうか。お互いの違う文化、価値観を認めあうことが二十一世紀を生きる地球人の目指すところではないでしょうか?でなければ地球は滅亡の道を進むことになってしまうのです。
 いろいろな人種があるように、いろいろな宗教や価値観があって当然です。問題はそれらを認めあう広い心を互いが持つことです。
 今、世界が求めているのは一つの正義ではなく、お互いを認めあう寛容さです。これこそお釈迦様の説かれる慈悲の教えであり、中道の教えなのです。
 私たちも信仰がないと、大いばりするのではなく、自身の拠り所となる確固たる信仰に裏付けされた生き方が必要です。自分自身に信ずる心を持たなければ、どうして他の宗教を信ずる人々の価値観がわかりましょうか?
 新年を迎えて、改めて「人間とは?宗教とは?」と問いかけてみてはいかがでしょうか。



◇(21)坐禅は安楽の法門なり  2003/01/05
「諸縁を放捨し、萬事を休息して、善悪を思わず、是非を管することなかれ」
                                「普勧坐禅儀」

 現代は「癒し」が求められているようである。「癒し系」の顔が若者には受けるようであり、「癒しのサロン」がサラリーマンやキャリアウーマンの「憩いの場」なのだそうである。価値観の多様化した現代にあって、人々は心のよりどころを求めているのであろう。
 「禅」もまた心の安心を求める修行であり、「癒しの道」とも言えよう。
 禅では「調身・調息・調心」といって、正しく整った心を保つには正しく整った呼吸が必要で、そのためには正しい姿勢が大切であると説く。
 「天台小止観」の中に「善く身・息・心の三事を調達すること能わず、内外に違反するところあるがゆえに、病が発することあらん」と述べられている。
 要するに病とは、身・息・心のバランスが崩れたときに発するというのである。
 身を整え、息を整え、心を整えると言うことは、それぞれがバラバラでは満たされない。心を落ち着かせようと思っても百メートルを全力疾走した直後の息が切れている状態では不可能であるし、呼吸を整えようにも姿勢が悪くては正しい呼吸はできるわけがない。これら全てが整ったときが最上の精神的癒しであり、正に坐禅の求める安心の世界である。
 今から三十年ほど前、今は亡くなられた東京大学の精神科のお医者様、平井富雄先生が大本山總持寺で初めて修行僧の坐禅中の脳波を測定された。その時のことは私が編集に携わっていた「跳龍」誌に掲載されたが、坐禅中の脳波は目覚めているにもかかわらず、安静時よりさらにリラックスしているという。
 最近、脳波についてはよく知られるようになり、これを応用した音楽や香りのセラピーまである。
 坐禅に入ると、安静時に見られる「α波」が目を開けているにもかかわらず現れ連続するという。さらに進むと普通は睡眠中にしか見られない「θ波」が現れ、自我意識が抑制された状態になるという。
 さらに坐禅中に刺激を与えるとα波が一瞬消えるという。刺激を繰り返すと一般には慣れてしまうのであるが、坐禅中の脳は五感が鋭敏で外部や内部の刺激に対してとても敏感にはなり、刺激の一瞬一瞬に応じて反応するというのである。
 しかしそれらの刺激にとらわれることなく、あるがままをあるがままに感じる、そこに作為的なものの入る余地はないという。ここのところを禅語では「柳は緑、花は紅」などと表わす。
 このような測定結果から、坐禅は心をリラックスさせ、現代の精神医学に通じると平井先生はおっしゃっていた。
 万福寺の月例坐禅会には毎月十三・四名の参加者がある。足が痛くて辛いと、一回きりの人もいるが、昨年皆勤で参加された方は三名もおられる。
 道元禅師は「普勧坐禅儀」のなかで「坐禅は唯これ安楽の法門なり」と説かれている。
 喧噪の現代を如何に生きるか。私たちは惑い、苦悩し、道を求める。「あるがままを、あるがままに受け止める」ということは、日常生活の一瞬一瞬を大切に生きることである。
 足の痛さをのり越え、日常の一切のこだわりと虚飾を離れたとき、もう一人の自己、もう一つの生き方が見えてくるかもしれない。


◇(20)お経の話  2002/09/10

 今回はお経についてお話をしてみたいと思います。「お経」は仏教の中心である仏法僧の三宝の中の二番目「法宝」のことです。
 「お経」は、お釈迦さまの説法を文字で表し残したものでありますが、お釈迦さまがお書きになられたものではありません。
 お釈迦さまが御健在の間は、お釈迦さまの「お話」「お声」そのままが「法宝」で、これを書き残すことはありませんでした。仏教は「八万四千の法門」と言われるように、経典の中には例え話がたくさん出て参ります。それはお釈迦さまがその時々の相手に応じてお話をなされたということです。私たちでも同じお話をするにしても、大人を対象にお話をする時と、子供さんにお話をする時とでは当然その手法は変わってきます。それがまたお釈迦さまの教えがいろいろと解釈される原因ともなるのですが。
 それでは現在読誦されている「お経」は誰が書き残したものなのでしょうか。
 お釈迦さまが亡くなられて後、お釈迦さまの説法を聞くことのできなくなったお弟子さま方は、「ある時お釈迦さまはこんなお話をなさっていましたよ!」と、みんなで話し合いを持つようになりました。これを「結集ーけつじゅう」といいます。この結集はお釈迦さまの死後百年も行われました。この結集によってまとめられたものが、経典のはじまりです。ですから経典のはじまりには必ず「如是我聞(にょぜがもん)我れかくの如く聞けり」と記されています。
 経典がどのように成立してきたか、ご理解いただけましたでしょうか。
さて、このようにして、まとめられた経典はどのようにして日本へ伝えられたのでしょうか。
 経典は、まずインドから中国へ伝えられました。昔のインドの言葉(パーリー語、サンスクリット語)から中国語への翻訳には玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)や鳩魔羅什(くもらじゅう)などの僧侶が有名です。
 孫悟空で有名な「西遊記」の原典となった「大唐西域記」によりますと、玄奘三蔵は二十四年余の歳月をかけ、中国西安の都から禁をおかしてインドナーランダへ赴き、経典を書き写して帰ってきました。その間の旅行記が「大唐西域記」であり、それを物語にしたものが「西遊記」です。
 長く困難な旅を経て西安の都に持ち込まれた経典は、いよいよ翻訳作業に入りました。
 この翻訳作業で特徴的なことは、二種類の翻訳が行われたことでしょう。
 一つは「観音経」でお馴染みの「法華経」のように意訳を行ったもの。そしてもう一つは「般若心経」で有名な「大般若経」や「大悲心陀羅尼」のような音訳をしたものです。
 それでは何故音訳と意訳の二種類の翻訳をしたのでしょうか。
 「法華経」のような例え話で人々に教えを説く部分は、そのお話の内容が良く分かるように意訳としました。そして「般若心経」のようなお釈迦さまの教えの根本部分、仏教の真髄の部分はお釈迦さまが発せられた「お声」そのままに伝えようと音訳とされたのです。まさに玄奘三蔵等、時の仏教者の素晴らしい智慧といえましょう。
 そして中国から日本へ伝えられる中で更に読み下しで読誦されるようにもなりました。
 「お経」には、その他に中国や日本の高僧が書かれたものを含めたりしますが、基本はお釈迦さまの話されたお言葉、お説教そのものといえましょう。
 私たちが中国のお寺へお参りし、朝のお勤めに参加させていただきますと、読み癖はあるのですが私たちも一緒に読誦することができます。二千五百年を超える釈尊の御声を今に伝えた、玄奘三蔵ら先徹の努力と智慧に感謝を捧げる気持ちで胸は溢れてまいります。




◇(19)お寺の山号と寺号  2002/01/10

 お寺には「山号」と「寺号」または「院号」があります。
 万福寺の寺号はもちろん「万福寺」で、山号は「聖閣山」と称します。

 山号は寺院に冠する称号で、もともとは山中に建てられた寺院を○○山○○寺と呼んだことに由来します。中国の天台山国清寺、廬山東林寺などがそれにあたります。これらはみなその山中に建てられたため、その所在の地名をとって山号としたのであります。
 後に平地に建てられた寺院にも山号の称号をつけるようになり、寺院の別称となったのです。
 日本では飛鳥時代・奈良時代に建てられた寺院には山号はありません。比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺などはみなその所在の地名を冠したもので、後世の日本の山号とは違うようです。
 鎌倉時代以後、禅僧の渡来とともに、中国の五山などに模して寺名の上に山号を冠する風習が起き、平地に建てられた寺院や市中に建てられた寺院にも山号をつけるようになったのです。京都の東山建仁寺や鎌倉の巨福山建長興国寺などがこれにあたります。
 それらを鑑みると、ご本山である吉祥山永平寺や小田原の道了尊でおなじみの大雄山最乗寺などは、山中にありますがとくに山の名前を冠したというよりは、撰んで寺号に冠したと考えられます。
 万福寺の山号は先に記したように「聖閣山」と称しますが、これもとくに所在を表しているわけではありません。
 万福寺の先住である二世中興聖閣賢道大和尚の「号」をそのまま山号としたものです。
 因みに当山の御開山は賢道大和尚の師匠である、石川県七尾市海門寺の十七世良温達道大和尚を勧請して(寺院の開創者が自ら開山とならずに師僧を開山とし、自らは二世として遠慮すること)お迎えしたものであり、事実上の開山は賢道大和尚で、開闢開山とも称します。

 この度新調された山号額は、施主・野本菊正氏が亡き奥さま七回忌菩提のためにと御寄進くださったものです。
 揮毫は聖閣賢道大和尚が生前に書き記し、旧本堂内に掲げてあった額から頂戴いたしました。


◇(18)お経の功徳  2001/01/05

 本堂向拝の手前に「摩尼車」が出来ました。
 その正面には「一回一誦」と記されています。黒い回転部分には「般若心経」が刻
まれ、一回転させれば「般若心経」を一回読誦したのと同じ功徳がありますよ、との
意味であります。
 「摩尼」とは、如意宝珠とも言われ仏性と訳され、チベット仏教では経典を中に収
め、くるくると回転させることによってその功徳を得ようとされるものです。
 そこで今回は「お経」の功徳について記してみたいと思います。
 そもそも経典はお釈迦さまが書き残されたものではありません。お釈迦さまは八〇
歳で亡くなられるまで、文字で残されたものは何一つ無いのです。現在伝えられる経
典のうちインドから伝えられたものは、お釈迦さまが亡くなられた後お弟子さま方が
集まり、「私はある時お釈迦さまがこんなお説教をしているのを聞いた・・・」と、
互いの記憶を照合して文字の経典として書き残したものであります。故に、このよう
なお経のはじめには「如是我聞ー我れかくの如く聞けり」と書かれているのです。
 さてこれらの経典は、鳩摩羅汁や皆さまよくご存じの三蔵法師達によってインドか
ら中国に伝えられました。三蔵法師は二十四年の歳月を掛けて西安の都に戻ってきま
したが、その間の旅行記が「大唐西域記」であり、それを元につくられた物語が「西
遊記」であります。
 西安に持ち帰った経典を翻訳するのですが、この時彼らは音訳と意訳の二種類に翻
訳しています。すなわちお釈迦さまの教えの根本部分にあたるものは音訳をしていま
す。陀羅尼と呼ばれるものや、「大般若経」などがこれに当たりますが、根本の教え
故お釈迦さまの発した声そのままに伝えようと音訳したのであります。
 また「法華経」(観音経など)は意訳をされており、中国の人々にお釈迦さまのお
説教を理解してもらおうとつとめたのであります。
 それらが日本に伝えられる時に再度、音訳・意訳がおこなわれ、現在に伝えられて
おります。
 このように伝承されてきた経典ですが、その功徳とはなんなのでしょうか。
 お経には三つの功徳があると言われております。第一に写経(書き写す功徳)。第
二に持経(お経を持つ功徳)。第三に誦経(お経を読誦する功徳)です。ようするに
読んでも、書いても、持っているだけでも(ということは触れるだけでも)功徳があ
るというのです。これが冒頭に記した「一回一誦」の功徳です。
 それではお経に触れれば何事もかなえられるのでしょうか?
 そんな即効性はありません。しかし常に経典に触れる心を持つことによって、知ら
ず知らずのうちに煩悩の炎が静まります。煩悩の炎が静まれば心も穏やかに静まり、
今まで見えなかったものが見えてくるようになり、現在の苦しみから逃れるにはどう
したらよいかという、正しい判断が出来るようになるのではないでしょうか。
 この尊い功徳溢れる経典に、少しでも接していただきたいと思い「摩尼車」を建立
させていただきました。
 もちろん、お寺の「お写経会」に参加いただけば尚結構ですし、経典を読誦された
い方はお申し出いただければいつでも経典をさしあげております。

◇(17)正しい信仰  2000/09/04

 「鰯の頭も信心から」という言葉があります。信ずるものを持つことは大切です。
神でも仏でも良いと思います。
 信心とは、時として私たちに勇気と希望を与えてくれるものです。
 真の宗教か人を迷わせる宗教かを見極めることなく、「藁をもつかむ想い」や「す
すめられるまま」「断り切れずに」入ってしまった信仰(信心)が正しい教えでなかっ
た場合、その宗教は麻薬となって人の心をむしばみます。
 それでは正しい信仰とは何なのでしょう。
 作家の曾野綾子さんだったと思いますが、雑誌の中で真の宗教の見分け方として、
次の四つを挙げておられました。
 第一に、多額の金銭を要求したり、高額な商品を売りつける。また、布施の額によっ
て御利益に差別をつける。
 第二に、信仰しないと罰が当たるとか、何か悪いことがあったとき、信仰しないか
らと脅したりするもの。
 第三に、超能力のような非科学的なことをいう。
 第四に、教祖などが生き仏のように君臨している。
 以上のようなことが顕著な宗教は、まず疑ってみた方がよいというのです。

 

 神でも仏でも、全てを無条件に受け入れるのが本当の神や仏でしょう。
 お参りの回数や、お布施の多少によって御利益に差別をつけるなどもってのほかで、
高額な品物を買えば御利益があるなどとは論外です。
 私の知人で生後間もないお嬢さんを亡くされた方に、通夜の席で○○教に入らない
からだと、脅された方がいました。そのかたは冷静に「それならこの子が死ぬ前に誘っ
てくれれば良かったのに」と、答えられたそうです。
 先祖の霊が祟っているとか、水子の霊が邪魔しているなどと言って、高額のお布施
を要求して除霊しますなどというのは正しい宗教とは言えません。
 これを信じて病気にならない人、死ななかった人などがあるならば、世の中誰もが
入信しているでしょう。
 宗教は、個人個人の心の問題であり、科学では推し量れない部分もあると思います
が、科学に反するものではないと思います。お釈迦さまのみ教えは、天地宇宙と一体
の教えです。自然の節理から逸脱することはありえません。ましてや空中浮遊など冷
静に考えれば誰にでもわかることです。
 お釈迦さまは「私はお前たちの師ではない」と、おっしゃっています。教祖とか何
とかという人物が生き仏、生き神のように祀られ、悩める人々を思うように操るのは、
その方が教祖にとって都合がいいからです。
 正しい信仰ならば、その教えのもとでは皆平等でなければなりません。

 

 人は心の病んでいる時、まさに藁をもつかむ想いで、正しい宗教か間違った宗教か
を見分ける智慧を持ちません。その時「勧められるままに」「断れないで」間違った
信仰に入ってしまった時、その宗教は麻薬と同じで、もはや正しい判断は出来なくなっ
てしまうのです。
 家庭や社会の調和を破壊するような教えは、本当の宗教ではありません。間違った
道を歩むことの無いように、普段から家族そろって宗教的環境を育てていきたいもの
です。




◇(16)總持寺を開かれた瑩山禅師さま ー平常心是道ー 1999/9/15

 石原裕次郎の墓があることで有名な、横浜市鶴見にあります曹洞宗大本山總持寺ですが、總持寺を開かれた瑩山禅師さまについてご存じの方は少ないようです。
 瑩山禅師さまは、永平寺を開かれた道元禅師さまの四代あとの方で、大勢の優秀なお弟子さまを育てられ、曹洞宗の基礎を築かれた方です。それ故に曹洞宗では道元禅師さまを高祖、瑩山禅師さまを太祖と尊称し、永平寺と總持寺の二つを大本山と戴いているわけです。
 さて、その瑩山禅師二十七歳の時、お師匠さまの義介禅師(永平寺三世)さまから「平常心とは?」と、問われた時、「黒漆の崑崙、夜裏に走る」(真っ黒な玉が闇夜を走るように見分けのつかない、思量分別を越えた境地である)と、答えられたが、義介禅師はさらに一句を求めました。すると瑩山禅師は「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と、答えられ、悟りの証明を受けられました。
 お茶をいただく時は余念を交えず喫茶三昧、食事をいただく時は食事三昧になりきること、これが思量分別を越えた境地であり、日常の生活に生かされてこそ、「平常心是れ道」と言えるのです。
 道元禅師の詠われた「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」と、全く同じ境涯の吐露でありましょう。





◇(15)他は是れ吾にあらず、更にいずれの時をか待たん 1999/1/10

 道元禅師は二十四歳の時、明全和尚とともに真実の仏法を求めて宋(中国)に渡り、縁あって天童寺如浄禅師の元で修行をつまれていた。
 ある時、病気の明全和尚を見舞いにいこうと大雄宝殿(仏殿)の前を通ると、炎天のもと典座の用和尚が瓦敷き上に椎茸を干しておられた。杖をつきながら汗だくになって作務に余念がない。
 道元は用和尚に歩み寄り、
「ご高齢のご老師がそんなことをなさらずとも、誰か若い修行僧にやらせてはいかがですか」
 と声をかけると、用典座和尚は、
「他は是れ吾れにあらず」(他人のしたことは、私のしたことにはならない)
 と厳しい言葉が返ってきた。道元はさらに、
「そのとうりです。それではこんなに暑さの厳しい時になさらなくてもよろしいのでは?」
 と言うと、用和尚は毅然として、
「更にいずれの時をか待たん」(今この時を逃して、またいずれの時を待つというのか)
 と答え、ひたすら作務に専念されたという。
 他人ではなく自分自身、あとではなく今、ここが私たちの生きていく現実であり、道元禅師はこれを「而今」(にこん)と言われた。
 昨今の景気の低迷を見るまでもなく、世の中は常に移り変わり、どのように変わるかは誰にも計り知ることは出来ない。皿を落とせば割れることは、誰にもわかるが、いくつの破片に割れるかは誰にもわからない。
 同様に未来のことは全くあてにならないし、過ぎ去った過去をいつまでも悔やんでも戻ってはこない。
もっとも確かなことは「而今」、今現在を生きる自分自身しかない。
 足元をしっかり見据えて、今を大切に生きたいものである。




◇(14)今日彼岸、菩提の種を蒔く日かな 1998/9/1
 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉どうり、彼岸を迎えると大変過ごしやすい、好時節となります。
 「お彼岸」の行事は、仏教発祥の地インドや、禅発祥の地中国にも見られない日本独自の仏教行事であります。聖徳太子の頃からはじまったといわれる「お彼岸」は、せめて年二回、春秋のもっともよい季節に設けられた、仏道修行のための修養週間なのであります。
 彼岸とは読んで字のごとく、向こう岸のことであります。仏教では、こちら岸(此岸)を欲望や迷いの世界、向こう岸(彼岸)を苦しみのない悟りの世界とし、此岸から彼岸に渡るべく精進するわけです。
 彼岸の中日は、太陽が真東から昇り、真西へ沈み、昼と夜の長さが等しく、仏教の基本である中道を説くのには、誠に都合がよいのであります。そこで、中日を中道になぞらえ、その前の三日に「布施ー施し」・「持戒ー戒め」・「忍辱ー忍耐」、後半の三日に「精進ー励み」・「禅定ー落ち着き」・「智慧ー賢さ」の、あわせて六つの修養徳目を設けました。これらを六波羅蜜といい、これを実践することによって理想の彼岸へ到達させようとしたものであります。
 また、この此岸と彼岸の間には煩悩の河があり、これを三途の河といいます。
 亡くなった方を送る時に六文銭を持たせますが、これは三途の河の渡し賃と言われております。三途の河とは私たちの心を迷わす三つの心「貧瞋癡」貪り・怒り・愚かさ、の心の三毒のことであり、六文銭は六波羅蜜を指しているのであります。
 心の三毒を六波羅蜜の実践により乗り越えて、はじめて悟りの彼岸へ渡ることが出来るのであります。
 亡くなった方に六文銭を持たせるのは、どうか悟りの彼岸へ到達して欲しいという残された者の願いであるわけです。
 しかし本来亡くなってから仏になるのでは遅いのであり、生きているうちに心の三毒を克服すべく六波羅蜜を実践して、悟りの彼岸へ到達するのが「お彼岸」の行事であります。




◇(13)松に古今の色なし、竹に上下の節あり 1997/12/29

 当山の山門は、松竹梅で飾られている。向かって右手の松は五葉松、左手の梅は枝垂れ梅、そして右手六地蔵の奥には亀甲竹が植えられている。まさに「万福多幸」のめでたさである。
 余談はさておき、正月らしく「松に古今の色なく、竹に上下の節あり」という禅語について述べてみたい。
 松は言うまでもなく、四季の変化に関係なく常に緑を保って、堅固なることを言ったもので、松の緑のような変わらぬ真理に目覚め、生きていくことを示している。
 竹には上下の節があるが、これは時節と共に移り変わっていくものを表している。
すなはち、時の流れは松の緑と同じように変わることはない。しかし、なにも変わらない時の流れの中にも竹のように上下の節はある。新しい年を迎えるということも、まさにその節目の一つであろう。
 正月だといって浮かれていても、いつもと全く変わらない今日一日ではある。新年という節目を迎えたが、何ら平生と変わることのない一日でもある。
 我々はともすれば目先の変化に目を奪われて、その根底に常に変わらずにある大切なものを見逃しがちである。
 一休禅師はシャレコウベを掲げて、

 

   門松や 冥土の旅の 一里塚

 

   めでたくもあり めでたくもなし

 

と歌い、正月だからといって只只浮かれている人々に警鐘を与えた。
 常に移り変わりゆくものと、決して変わることのない真理とを、しっかり見極めて生きてゆきたいものである。




◇(12)無寒暑の処 1997/8/25

 

 今年の夏は前半は厳しい暑さの連続で少々ばて気味であったが、八月に入ってからは冷夏といっても良いほどの涼しい夏であった。暑ければ暑いで少しは涼しくならないものかとおもい、冷夏と聞けばお米は大丈夫だろうかと想いをを巡らせる。とは言うものの根が横着者の私などは、暑いのもいや、冬の寒さも勘弁してほしい。一年中秋の爽やかな気候ならよいのになどと勝手なことを考えている。
 さて中国の唐の時代にも私のようなグータラな修行僧がおりまして、ある時洞山良价禅師に問われた、
「暑さ寒さはどのようにして避けたらよいのでしょうか?」
すると洞山禅師は申された、
「寒いときは寒くないところへ、暑ければ暑くないところへ行けば良い!いやいや寒くも暑くもないところへ行けば良い!」と申された。
こう言われた修行僧は、さらに尋ねた、
「寒くもなく、暑くもないところとはどこですか?」
そこで洞山禅師は答えた、
「寒いときは寒になりきれ、暑いときは暑になりきってしまえ!」と。
 寒さと一つになれば寒さを感じず、暑さと仲良くなってしまえば暑さを感じない、と。正に「心頭滅却すれば火もまた涼し」のお示しである。
 いずれにしても、おまえさんと別のところや離れたところに無寒暑のところがあるわけではないと示された。
 この修行僧と洞山禅師の問答は、単に寒暑のみについて交わされたのではない。「寒暑」を「苦楽」「迷悟」「生死」などにおきかえてみればその意味の深さが良く味わえるでしょう。 良寛さまは、ここのところを「貧乏の時は貧乏になりきるがよろしく御座候。病の時は病になりきるがよろしく御座候。死ぬる時は死ぬるばかりにて御座候。是はこれ災難をのがれる妙法にて候」と示された。




◇(11)供養のまこと 1997/1/1
「親孝行したい時には親はなし・・・」とは、よく聞く川柳である。親のありがたさというものは、なかなか理解できないものである。子を思う親の心は何にも勝るものなのであるが、ただ口やかましく「うるさいなー」と思うばかりで、なかなか孝養を尽くすまでには至らない。
しかし不思議なもので、同じ事をよその人に言われると以外と素直に聞くことが出来たりする。それだけ親に対しては甘えが大きいと言うことでもあろう。
ともあれ生前は「親の心子知らず」で、我侭三昧であっても、親と死別して初めて親のありがたさと深い恩に気づかされるのである。
ところで先ほどの川柳には下の句があって、「・・・さりとて墓に布団もかけられず」と、言うのである。
果たして亡くなった親には孝養を尽くすことは出来ないのであろうか。そんなことはない、それが追善供養である。
供養の誠とは、生きておられるのと同じようにお仕えすることである。大本山永平寺では、開祖道元禅師さまの御真前に、まずは桶に入った水と手拭いで洗面のお支度を供え、次には茅の実、お水、お茶、そして朝食と正に生きておられるがごとくにお仕えする。
家庭にあっては、三度とはいわず朝だけでも、生きておられるがごとくご供養することが第一であろう。また、形にこだわって、ああしなければ、こうしなければと迷うこともない。命日などに故人の好物を供えるもよし、到来の初物を供えるもまたよしである。
最も肝心なことは、手を合わせて参る私たちの心のありようである。朝の出掛けにあわただしく「チンチン」とでは、供養の誠とは言えない。
釈尊のお示しの中に、諸々の如来を供養するには坐禅三昧が、一番の供養であると説かれている。静かに心を落ちつけ、澄み切った心で無心に鳴らす鐘の響きは、追善の誠を受けとめたみ仏や、亡き両親の声として響くのである。
明日からは、チョット早起きをして、心静かな気持ちでご仏壇に参っては如何でしょうか。さぞや清々しい心持ちで一日を送ることが出来るのではないでしょうか?



◇(10)生と死の間に身を置いて

 

「修証義」第一章のなかに「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と説かれます。
生きとし生けるものは、有限の命を生きています。お釈迦さまは「生あるものは必ず滅する、会うたものは必ず別れる時がくる」と、おっしゃっています。
まさに「諸行無常」の言葉どうりで、いつ終わるかわからない無常の命を一生懸命に生きているわけです。
昔、愛する我が子を亡くした母親がお釈迦さまに、我が子を生きかえらせてくれるよう頼みました。お釈迦さまは「それでは自分のまわりで、血のつながったものを一人も亡くしたことのない家から一粒のケシの実をもらってくるように」といいました。母親は喜んであちこち探し回りました。しかし、そのような家はついに一軒もありませんでした。
どのような家であっても、血縁の中に死者を一人も出したことのない家などあろうはずもありません。
「死」と関わり無しに生きている人など一人もいないのです。
「いのち」は好むと好まざるとにかかわりなく生をうけ、その一生はその人固有のものであり、生も死も「ご縁」に任せるほかはありません。この縁を自分自身がどうとらえて生きていくかが問題です。
誰しも身近な人の死は認めたくありません。しかしさけることのできない現実です。この悲しみを仏の智慧によって、受けとめていくのが仏教の教えであります。
お葬式やご法事などを単なる儀式としてすませては、本来の意味からかけ離れてしまいます。お釈迦さまの教えは死者を供養するだけのものではありません。本来の死者の供養とは、今生きている私たちが互いに助け合い、仲良く生きることではないでしょうか。
私たちはご先祖さまのお陰で、素晴らしい「命」をいただいています。生と死の間に身をおいて、自分自身の一生をどう生きるべきか考えたいものです。




◇(9)百年の計は元旦にあり

 

「一年の計は元旦にあり」と言うが、「一年の計は穀を植ゆるにあり、十年の計は樹を植ゆるにあり、百年の計は徳を植ゆるにあり、人の最も植ゆべきものは徳なり」ということばを御存じであろうか。
「空華日用工夫略集」に示す義道周信の言葉である。
食料生産には一年、植樹には十年の計画が必要であり、人間にとって一番大切なことは徳を植えることで、これは一生の計画であるとの教訓である。
それでは「徳」とはなんであろうか。道元禅師のお示しに、
「世人善事を成す時は人に知られんと思い、悪事を成す時は人に知られじとおもうに依って・・・・・人も知らざる時は潜かに善事を成し、悪事を成して後は発露して咎を悔ゆ。是のごとくすれば即ち密々に成す所の善事には感応有り、露はれたる悪事は懺悔せられて罪滅する故に自然に現益も有るなり。当果をも知るべし」と、ある。
世俗の人は善いことをする時は、人に知られたいと思い、悪事をする時は、人に知られまいと思う。しかしこれは間違った考えであり、これでは神仏の心にかなわず、善いことをしてもその報いはあらわれず、人知れずやった悪事には罰が下る。
だれも知らない時に、密かに善いことをし、悪いことをしたら後で告白して罪を悔いる。
このようにすれば人に知られないようにした善事は神仏に通じ、告白して人に知られた悪事は懺悔が行われて罪が消滅する。
故に、おのずから、この世での御利益もあり、未来に受ける果報もわかるであろうとのお示しである。
昔の人は、徳を損ずるようなことをしてはならない、人知れず善いことを行って徳を積みなさいと教えた。
人は一人では生きてゆけません。互いの協力と思いやりがあればこそ、豊かな人生を送ることができましょう。それには何はさておいて、徳を損ずることなく隠徳を積むこと以外にあり得ない。
バブルのはじけた今なお、自己の利益ばかりを求め、即物的現世利益を求めてキュウキュウとしている現代こそ、年頭に当たり「百年の計」を立ててみては如何でしょうか。


◇(8)我れ只足るを知る

 

お釈迦さま最後の説法に「多欲の人は利を求むること多きが故に、苦悩もまた多し。少欲の人は無求無欲なれば、すなわちこの患なし・・・不知足の者は富めりといえども、しかも貧し。知足の人は貧しといえども、しかも富めり」という、お示しがある。
欲が多い人は悩みもまた多く、欲の少ない人は、そんな心配もない。欲を少なくし、足ることを知るという意味である。
人の欲望には二とうりがあるという。ひとつには、おなかが空いたならば物を食べ、眠くなったら睡眠をとる。これらはすぐに解消される。
もう一つの欲望は、おいしい物が食べたい、家を建てたい、車が欲しいといって手に入れるのだが、それらを手に入れてしまうと、今度はもっとおいしい物が食べたい、もっと立派な家が欲しい、もっとかっこいい車が欲しい等々、次々と欲望が大きくなり、なかなか満たされない欲望である。
前者は単純な欲望であり、後者は「渇愛」という欲望である。渇愛とは、喉がカラカラに渇いたという意味で、これがいわゆる煩悩と言われるものである。
お釈迦さまは、この喉の渇きに似た欲求が私達の心の中に潜み、あらゆる場面で出現して我々を苦しめるのだと説かれた。なぜなら渇愛は、充たされれば充たされるほど膨らんで大きくなるからである。
それではどうすればこの渇きから脱することが出来るのだろうか。
そこで説かれたのが、冒頭の一節である。お釈迦さまは、「少欲と知足」を説かれたのである。「無欲」でもなく「小欲」でもない。欲を小さくしても、煩悩をなくしなさいと言われても、これでは人はなかなか満足できない。それよりも、欲を少しだけ少なくしなさい、と説かれたのである。そうすれば満足を得ることが出来る。
また、次から次へと新しいものが出現する現代においては、それらに踊らされて欲望を膨らますばかりでなく、時には「足るを知る」ことも大切である。
物の溢れる現代社会こそ、「知足」と「少欲」の実践が幸せへの第一歩である。


◇(7)天上天下唯我独尊

 

去る二月中旬、インド仏跡巡拝に行ってまいりました。
十四年ぶりの入竺(インドに渡ること)で、大都市の近代化は目をみはるばかりですが、仏跡のある田舎は十四年前と全く変わりありませんでした。
道路の舗装と電信柱を取り除けば、そこにお釈迦様が弟子たちを引き連れて歩いておられるかのような錯覚にとらわれ、そのまま二千五百年前にタイムスリップしたと思われるようです。
まさに、お釈迦様と共に仏跡を歩かせていただいているような法悦に浸ることが出来た仏縁に、感謝するばかりでした。
さて四月八日は「釈尊降誕会・花祭り」です。お釈迦様は、現在のネパール領ルンビニでお生まれになりました。御誕生直後、七歩歩かれて右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と昌されたと言われますが、もちろんこれは伝説です。
「天上天下唯我独尊」とは「我れ唯だ一人がこの世で尊い」ということでありますが、一般的には「独尊」が一人歩きしてしまい、あまり良いことではないように解釈されております。
人間誰しも自分自身が一番大切でかわいいものです。これは間違いのないことでしょう。
お釈迦様が天と地を指さされたのは、「この世の全て」を表しておられるのです。この世でたった一つしかない自分はとても尊い存在です。
それと同じように、お隣のAさんもBさんも皆自分と同じように、自分自身が尊い存在なのであるから、お互いが尊いお互いを尊重しあっていかねばならぬとのお示しでありましょう。
曹洞宗立の世田谷学園ではカナダの姉妹校と留学生の交換をしています。山本校長先生はカナダについて「カナダは大変多くの移民を受け入れており、その人種の数は大変なものである。人はこれを人種の坩堝というが、私は人種のモザイクだと思う。なぜなら各々の人種の個性というタイルをつなぎ合わせて全体の美しさを作っている」と、話された。
お互いがお互いを尊重しあう。言うは易いがなかなか難しいことであります。
ともすれば「唯だ自分一人」を大切にしてしまいがちな私たちである。「花祭り」を期に、釈尊のお言葉にあらためて思いをいたしてみましょう。



◇(6)新年に生と死を明らめる

 

元旦のお勤めと御祈祷が終わると、先代住職は書院床の間にて記念写真を撮影させた。
自分の葬儀の時にその写真が使用出来るようにと、毎年欠かすことはなかった。
禅宗の僧侶は、正月に遺偈といって亡くなる時の辞世の句のような漢詩をしたためる。
そういえば、修行僧の背中に背負う行李の中には、行脚の途中、行き倒れ等になっても他に迷惑を掛けないようにと、涅槃金という葬儀を出せるだけのお金を常に携帯している。
「一年の計は元旦に有り」と言うが、新年早々葬儀の写真を準備し、辞世の句をしたためるとはこれ如何にである。
正月早々縁起でもないとおっしゃる方もおられるかも知れないが、これこそが正に禅僧の生き方であり、死に方である。
生有るものは必ず滅し、会うたものは必ず離れる時が来る。故に、いつどのような形で死を迎えようとも困らぬよう、怠り無く死の準備を整えておくのである。だからこそ生きている、生かされている、たった今を一生懸命に生き抜くことが出来るのでは無かろうか。
最近「大霊界」やら「大往生」等など死後についてあれこれと話題にのぼることが多い。死後どうなるかを考えるならば、生前どう生きるかが命題であり、眼目でなければならない。
どう死ぬかと言うことは、どう生きるかと言うことである。道元禅師さまは、このところをしっかりと明らかにしなさいとお示しです。曰く「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と。


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